香港における抗議活動を事例とした観光業に与える影響と対応

UPDATE :
2019. 11. 25

SUMMARY

香港における抗議活動によって最も影響を受けているのは香港への訪問客数であり、とくに中国本土からの旅行者が減っている。類似事例であるタイでの政情不安を上回る影響となっている異例の事態に対して、今のところ香港政府観光局は積極的な情報発信は行わず、沈静化後のプロモーションに備えている。一方、香港からの出国者数への影響は限定的である。今後の動向を注視しつつ、双方向の交流が正常化することを期待したい。

*この原稿は10月末時点に執筆された内容です。

はじめに

香港における政府に対する抗議活動は、11月9日で6ヶ月目を迎える。6月に始まった、犯罪の容疑者を中国本土に移送可能とする「逃亡犯罪人条例等改正案」に反対する抗議活動は、国会に当たる「立法会」において、10月23日に正式撤回が行われたものの、収束の見通しは立っていない。

抗議活動は週末を中心に継続しており、旅行業界をはじめ、飲食、小売り、不動産業界への影響が拡大している。本コラムでは、抗議活動による香港への、そして香港からの旅行需要への影響について統計情報から読み解くとともに、香港への海外旅行需要回復に向けた香港政府観光局の施策について紹介したい。その上で、抗議活動と香港から日本へのインバウンドの見通しについて解説を行う。

2019年6月9日 逃亡犯罪人条例等改正案に反対する100万人デモ
2019年6月10日 香港政府、改正案の6/12からの立法会における審議を発表
2019年6月12日 審議阻止のため立法会を包囲
香港政府は「暴動」と表現し、5大要求*の火種に
2019年6月16日 逃亡犯罪人条例等改正案に反対する200万人デモ
2019年7月1日 デモ隊が立法会を一時占拠 同日は香港特別行政府成立記念日
2019年7月21日 郊外で一般市民を狙った反社会的勢力による暴力事件
夜間の外出に対する不安感の広まり
2019年8月5日 空港、航空会社関係者によるストライキ
2019年8月12-13日 デモ隊による空港ロビー占拠(発着便に大きな影響)
2019年9月1日 デモ隊による香港空港アクセス道路の一時封鎖
これ以降空港へのアクセスが厳格化され、空港閉鎖は起きていない
2019年9月4日 逃亡犯罪人条例等改正案の撤回を表明
10月23日立法会にて正式撤回
2019年9月26日 香港政府と市民の対話集会開催
2019年10月1日 警察による実弾発砲による初の負傷者発生
2019年10月4日 デモ等でのマスクや覆面を禁止する「マスク禁止規則」制定

*5大要求とは、「逃亡犯罪人条例の撤回」「行政長官の辞任と普通選挙の実施」「6/12の衝突を暴動とする見解の撤回」「警察の暴力に関する独立調査委員会の設置」「抗議活動における逮捕者の釈放」 のこと。

香港インバウンドへの影響 -中国本土からの訪問者数が大幅減、長距離市場への影響は限定的

今回の抗議活動を受けて、最も影響を受けているのが香港へのインバウンド(海外、中国からの香港訪問)である。図表1の通り、公表されている香港政府観光局の統計によると、2019年8月の香港訪問者数は前年同期比39.1%減と、2003年に発生したSARS(重症急性呼吸器症候群)以来の、大幅な落ち込みとなっている。2018年には前年比11.4%増で、過去最多の6,500万人を記録し、訪問者数が右肩上がりになっていたところであった。中でも、香港訪問者数の8割近くを占める中国本土からの落ち込みが42.3%減と最も厳しい。日本からの訪問者数は25.2%減と全体の35.1%減と比較するとまだ健闘している。日本での自然災害等発生時に、インバウンドで最も影響が早く出てくるのが韓国や台湾等の近隣国であるが、今回の香港での抗議活動でも同様の傾向を示している。近隣の中国、韓国、台湾の減少率が高く、欧米等の長距離市場の減少率は低いことが分かる。

香港へのインバウンド

図表1 香港へのインバウンド

次に、ホテルの稼働率、平均客室単価の変化を見てみたい(図表2、3)。客室稼働率は、5月までは前年並みであったが、抗議活動が始まった6月は前年同月比で3ポイント減、8月には28ポイント減の66%となっている。また、平均客室単価も8月は同17.1%減となっている。稼働率低下と相まり、客室収益指数(RevPAR)も44.6%減の約9,700円まで下がり、ホテル業界の経営を圧迫している。筆者は毎月香港を訪れているが、次回訪問の11月初旬のホテル手配では、8月に比較して更に2-3割安い料金となっており、稼働率の低迷と客室単価の低下が続いていることを実感している。

香港最大の労働団体である香港工会聯合会の調査によると、ホテル業界従事者のうち9割が業務量減少を理由に休暇取得を余儀なくされ、更にその8割が1日から3日の無給休暇取得を経験したという。ホテル業界では、地元香港人や駐在員のStaycation(休暇を近所で過ごす)需要取り込みに力を入れ、夕食ビュッフェが無料で提供されるプランや、大幅な値引きを図り、稼働率向上を図っている。

図表2 香港における客室稼働率の推移

図表3 香港における平均客室単価の推移

このように、公表されている期間だけでも、統計上香港の旅行業界は、大きな影響を受けていることが分かる。このような天災ではない、政治的背景による旅行への影響の事例として、タイでの反タクシン派によるバンコク・スワンナプーム空港占拠や、バンコク市内封鎖が記憶に新しいだろう。前者は2008年11月末から12月の約1週間の出来事で、11-12月のタイへのインバウンド訪問者数は同期比22.7%減、後者は2013年末から2014年5月まで約半年間続き、2014年上半期の訪問者数は15.8%減であった。バンコクを中心とした事件でタイ全土での問題ではなかったが、香港における訪問者数の減少幅(35.1%減)の大きさが際立っている。

香港政府観光局の対応 -世界的にも前例がない事象への対応

香港へのインバウンド誘致は、香港政府観光局(以後HKTB)が、国内旅行関連産業の発展、育成とともに担っている。この訪問者数減の状況に対して、どのような施策を行っているのだろうか。対消費者、対業界向けに分けて紹介するとともに、不安定な状況におけるイベントの危機管理とそのフォローについて、詳しく見ていきたい。

*今回の抗議活動は継続中で収束の見通しも立っていないことから、施策が揃っていないであろうこと、また現在行っている施策に対しての評価が行えないことに留意いただきたい。

【対消費者向け】

  • 電話、現地旅行案内所カウンターでの抗議活動の状況に関する情報提供(プル型)
  • 抗議活動沈静化後の、「全世界規模(far-reaching global campaign)」でのプロモーション活動(時期、具体的内容未発表)

【対業界向け】

  • 旅行会社に対する誘客インセンティブ提供(香港へのインバウンド客誘致に1人当たり120香港ドル、香港からのアウトバウンドに同100香港ドル、いずれも1社500人を上限に支給予定)
  • HKTBが出展する中国本土、海外での旅行見本市、商談会への参加費無料化(2019年10月から2020年3月までが対象)
  • HKTBが認証する「観光サービス優良店」の証明書費用の1年間無料化(証明書費用は1店舗2,700香港ドル)
  • 観光ガイドの免許更新に伴う研修費用補助(1名当たり1,000香港ドル、研修費用は経験、専門分野により異なる)

このように、現在の施策については主に業界向けのものが多く、対消費者向けについては、事態の沈静化後に焦点を置いているのが特徴的である。また、抗議活動についての状況や、抗議活動が行われている場所や時間以外では、日常生活が正常に行われ、観光に影響がない旨の情報発信は積極的には行われていない。プッシュ型ではなく、問合せが必要なプル型であるのも興味深い。以下HKTBが持つオンラインのオウンドメディアであるが、いずれにも具体的な状況は掲載されておらず、イベント情報や観光情報提供といった、平常時のオペレーションのままである。

http://www.discoverhongkong.com/jp/ (日本向け)
http://www.discoverhongkong.com/eng (英語グローバルサイト)
https://www.facebook.com/DiscoverHongKong.jp/ (facebook日本向け)
https://www.facebook.com/DiscoverHongKong/ (facebook英語グローバル向け)
https://twitter.com/HKTB_JP (ツイッター日本向け)

筆者は、日本政府観光局(JNTO)でのシンガポール駐在時代、2011年の東日本大震災からの復興プロモーションの現場を経験した。その際には、今回のHKTBのプル型とは対照的に、オウンドメディアや新聞やTV等のメディアを積極的に利用し、一部を除き、多くのエリアで日常生活は通常通りであることや、放射線量について、シンガポールや主要都市を比較した客観的データの発信を行っていた。

香港での抗議活動の状況は、一部の過激な行動や被害がメディアで取り上げられている状況であるが、筆者の毎月の香港滞在時には遭遇したことはなく、当該エリア、時間に近づくことさえしなければ、仕事や観光に影響はない。メディアでは報道されないこういった日常であるからこそ、政府観光局として発信する必要があると筆者は考えている。次回HKTB関係者と会う際には、プル型かプッシュ形のいずれが有効かディスカッションしたいと考えている。

【危機管理とフォロー】

HKTBは香港内での大規模イベント事業も手がけている。その中で10月に行われる予定だった香港サイクロソン(10月13日)、香港ワイン&ダインフェスティバル(10月31日~11月3日)を中止した。いずれも屋外での消費者向けイベントで、会場と抗議活動が行われるエリアが近く、運営に支障を来す恐れがあるという理由からだ。

対照的に、香港ワイン&ダインフェスティバルが行われる会場と、抗議活動のエリアと同距離にある、香港コンベンション・アンド・エキシビション・センターで行われるイベントについては、多くが予定通り開催されている。屋内ということで、抗議活動による直接的な影響がない、というのが判断基準のようだ。日本の場合には、連鎖的な中止や自粛、リスク回避といった配慮が発生することが予想されるのとは対照的な対応である。中止されたワイン&ダインにおけるフォローにも注目したい。同イベントはレストランや酒造メーカーが出店を設け、一般消費者が入場料を払って飲食を楽しむもので、日本をはじめ海外からの酒造メーカーや飲食店の出店者が多いのも特徴である。その出店者に対して、出展費用を全額返還するとともに、来年開催の同イベントへの出展費用を2割引きするという。

また、来年は、これまでの通り10-11月に開催するとともに、上半期の開催も検討し、年に2回の開催を予定しているという。出店者への次回への優遇措置の提供と、現地に行って体験したいというモチベーションにつながる「イベントの開催」は、有効な誘客策となるだろう。なお、参加費や入場料を事前に支払っている消費者に対しては、全額返金されるとのことだ。

香港サイクロソン
http://www.discoverhongkong.com/jp/see-do/events-festivals/highlight-events/cyclothon.jsp

香港ワイン&ダインフェスティバル
http://www.discoverhongkong.com/jp/see-do/events-festivals/highlight-events/wine-dine-festival.jsp

香港からのアウトバウンドへの影響 -旅行は旅行、抗議活動は抗議活動の割り切り、抗議活動疲れも

香港へのインバウンドへの影響の大きさに比して、今回の抗議活動による香港からのアウトバウンドへの影響は軽微にとどまっている。香港からのアウトバウンドに関するデータを図表4にまとめている。一番上の「空路出境者数」というのが、香港人の航空便を使った香港外に出る動きであり、アウトバウンドの全体像をつかむには最も適切なデータと言えよう。これによると、抗議活動の始まった6月から対前年同月比で減少傾向が続いているが9月には0.5%増とプラスを回復した。

空路以外では、クルーズ船利用がマイナスである。これは2018年から続くトレンドであること、週末や1-2泊での短期旅行需要で、マカオとの橋が完成したことにより(港珠澳大橋、2018年10月開通)、需要が流れたことの影響と考えられる。

最後の「アウトバウンド」が、フェリーもしくは橋を利用したマカオ訪問で、6月以降も2桁増の伸びを示している。マカオへのアクセス経路として、橋の開通によりオプションが増えたことが大きく影響している。開通が2018年10月23日であるため、10月まではプラス成長が必然的に続くと考えられるが、11月以降の数字に注目である。

香港からのアウトバウンド

図表4 香港からのアウトバウンド

空路に加え、クルーズ、マカオへの訪問者数を加えた数字が、香港からのアウトバウンドの全体となり、2018年実績では年間で約1,950万人が海外を訪問している計算になる(中国本土行きを除く)。これは香港の人口750万人に対して2.6倍の人数であり、香港市民にとって海外旅行がいかに身近なものかが分かるだろう。香港の面積は1,106平方kmと、京都府(4,613平方km)の四分の一、京都市の面積827平方kmに近い。このことから、国内旅行はほぼ存在せず、余暇の選択肢が乏しいことから、海外旅行が生活の一部として定着している。

このような条件に加え、抗議活動による夜間の外食、買物の為の外出手控えが加わり、気晴らしとしての海外旅行需要が高まっている。筆者の日本人的感覚では、抗議活動を頑張っている人がいる中で自分だけ旅行する、というのには気が引け、「自粛」という選択肢になるだろう。しかしながら香港では合理的な考え方をする消費者が多く、筆者の香港人の友人からは「旅行は旅行、抗議活動は抗議活動」といった、割切った声が多く聞かれる。

香港中文大学の2019年9月の調査によると、香港人の42%が海外移住を検討しているという。一国二制度を巡る問題や、不動産価格高騰による生活環境の悪化が背景にあるという。旺盛な海外旅行需要も含め、長期か短期かの違いはあるものの「脱出願望」が香港人の根底にあると筆者は分析している。

前章でのタイの事例について、本章ではタイ人の訪日アウトバウンド(タイ人の 日本へのインバウンド)への影響を見てみたい。2008年11-12月の空港占拠では、前年同月比10.8%減であった。一方の2014年上半期のバンコク占拠では63.3%増と、影響が全く見られなかった。この2つの事例から導かれることは、当該国での騒乱に対しては、当該国へのインバウンドへの悪影響は大きいものの、アウトバウンドへの悪影響は小さいということである。何か騒乱があった場合には、「その国からのアウトバウンドまでも大きく減少する」と結びつけることには、判断留保が必要であろう。*なお、2013年7月から、タイ人を対象とした訪日ビザ免除制度が開始されており、2014年上半期の増加にも一定の影響があったと考えられる。

このようなことから、一連の抗議行動が香港からのアウトバウンドに与える影響は小さく、日本への香港人訪問者数も年間を通じで前年並みが予測される。長期化した抗議活動に対して参加疲れも聞かれており、在香港日本国総領事館の分析では、抗議活動への参加者数が減少傾向とのことである。市民側の5大要求に関して、香港、中国政府からは妥協しがたい項目が多く、解決の道筋は見えないものの、抗議活動の規模は縮小していくと考えている。

最後に -香港を訪問することで、香港の旅行業界支援を

繰り返しになるが、今回の抗議活動について、収束の見通しは立っておらず、週末を中心として抗議活動が当面は続くものと考えられる。2008年、2014年のタイでの事例は、政党対政党の構図で、政権争いという、出口が見通せるものであった。しかし、香港の今回の騒動は、政府対市民の構図、更に政府側は中国の1国2制度の下で主体的な判断が出来ない状況にあり、米中関係という変数も加わり、世界的にも前例がない出来事である。長期化により、これまで説明してきた通り、人の往来にも影響が出て来ている。この危機をどう乗り越え、需要回復と業界保護を行うのか、今後の香港政府観光局(HKTB)の対応を引き続き注視したい。本稿執筆時点(2019年10月28日))での対応は、対消費者での直接的プロモーションよりも、業界向け支援を拡充することで体力を温存し、然るべきタイミングでの全世界対象の大規模消費者キャンペーンに備えていると考えられる。

このような状況から、香港出張や旅行を控えてらっしゃる読者の方も多いに違いない。外務省からは、香港渡航に関して「十分注意して下さい」という、4段階のうちの一番下の危険情報が出されている状況のため、積極的に「訪問して下さい」とは言えない状況ではある。

しかし、報道されているような過激な行動や被害が香港全土で行われている訳ではなく、大半の観光地はこれまで通りの「香港」であり、ある意味風評被害に遭っている状況である。2011年の東日本大震災発生とともに、日本へのインバウンドは大きく落ち込んだ。しかし、香港からはその1ヶ月後の4月16日という早い段階で、訪日団体旅行が再開され、日本のインバウンド関係者の多くを勇気づけてくれた。旅行業の発展には、双方向での往来が欠かせない。

香港訪問に当たっての抗議活動等情報収集サイト

【外務省海外安全情報 香港】
https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcinfectionspothazardinfo_016.html

【抗議活動発生場所のリアルタイムマップ】
https://hkmap.live/

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PROFILE

プロフィール

清水 泰正 しみず やすまさ

京都市観光協会アドバイザー Japan Tourism Research & Consultancy Limited

14年間の日本政府観光局(JNTO)勤務を経て、インバウンドに関する戦略コンサルタントとして独立
シンガポール、香港での計9年間の駐在を通じ、マーケットインの視点での誘客、データに基づく分析力を磨く
Japan Tourism Research & Consultancy Limited社 代表取締役、(社)日本フォトウェディング協会顧問

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